松田優作没後20年

松田優作が亡くなって今年で20年ということで、映画が公開されたり、スカパーで特集が組まれたり、インターネットや雑誌などへの露出がまた最近多くなってきましたが、彼がかっこよかった、すごかったというように持ち上げている記事を見てもしらけてしまっています。
特にいろんなメディアでの映画の宣伝が多いのですが、妻の松田美由紀が関わっていることもあり、商売っ気が強く感じられ、特に、今売れている息子2人を使って「はじめて息子が父親について語る」といったことを売りにしているところなども嫌な感じがします。
このブログで松田優作については、何度か書きましたし、おそらく以前ここに書いた元妻の松田美智子氏の本「越境者」で彼の当時の私生活について知ったことの影響も大きいのだと思いますが、今こうして彼の作品を見返してみると、昔かっこいいと思っていたTV版の「探偵物語」はさほどかっこよく感じられず、シリーズの後半は特に自意識過剰な「うちわのり」が鼻についたりします。それ以降の「家族ゲーム」など森田芳光の映画に出て、整形したり髪型を変えたり、雑誌やテレビのインタビューに答えたり、それまでの自分のハードボイルドなイメージから意図的に離れようとしているところも、当時はかっこいいと思ってみていましたが今見返すと、アート、文学志向青年の青臭さみたいなものを感じてあまりいいとは思えなくなりました。逆に、とかく最終回の「なんじゃこれ」だけが話題になり敬遠していた「太陽にほえろ」の普通の回とか、今スカパーでやっている「俺たちの勲章」などのテレビドラマに、彼がそれまでに抱えてきた人生の重さのようなものがにじみ出ていて、些細な表情に感動したりもします。こうしてみると、彼のピークは78年の村川透の遊戯三部作のあたりで、知名度も上がったというおごりもあったのか、それ以降の「ブラックレイン」までの10年は彼にとっての「失われた10年」だったのではないでしょうか、「ブラックレイン」の鬼気迫る演技は今みても本物だと思います。ある意味、日本を飛び出して、ハードボイルドであるかないかなど自意識過剰だったそrまでの演技を突き抜けた役者としての凄さを感じます。映画出演が以上に少なかった彼の30代の役者としての仕事が少し残念です。

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「太陽にほえろ」の松田優作3

最近、月曜日はバスケットボールより「太陽にほえろ」ということになってしまっているのだが、今日は忘れていて途中から観た。今回は、七曲署の署内で大暴れするというところがあるのだが、その暴れっぷりがアクションスターやカンフーヒーローのそれではなく、まったくソフィスティケートされておらず破天荒で、それが凄い。空手とかはやっておらず、ほんとうのストリートファイトで培ったもので、ほんとにけんかは強かったそうだが、椅子やガラス瓶で叩かれたり、ガラスまどを破って二階から突き落としたり文学座からデビューした彼が、本意か不本意か後にアクションスターとして活躍していく原点がここにあるわけなので、今週もまた目頭が熱くなった。

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ジーパン刑事

今、スカパーの日テレプラスで、松田優作特集をやっている。「越境者」が出版されたことや、息子たちの知名度が上がったということもあるのか、私にとってはひじょうにタイムリーだ。探偵、太陽にほえろ、大都会パート2と、よく考えるとほとんど日テレなわけで、全て観たいのだが、太陽にほえろなどは午後3時という時間なので、当然観られず、深夜にやっている土曜日しか見られない。放送予定をチェックしてみると、なぜか、登場と殉職は先週の土曜の深夜にやっていて、いきなり見逃してしまった。来週の土曜日は放送予定がブランクだが、再放送してくれるんだろうか。お願いだから、大都会の第4話と合わせて、どこかで再放送して欲しい。

ということで、太陽にほえろの松田優作シリーズで唯一観られるのが今日だったのだが、2話目の「海を撃て!!ジーパン」はちょっと気恥ずかしいタイトルではあるが、彼の特徴が出ていてよかった。脚本は鎌田敏夫が書いていて、本来太陽にほえろは、後の石原プロが得意とした刑事が銃を撃ったりするようなシーンはほとんどないのだが、この回は、人を殺してしまうこともある拳銃は撃ちたくないというジーパンが、彼が銃を撃たなかったために関根恵子演じるシンコが撃たれてしまうことで、刑事は必要な時には撃たなければならないということを理解するというストーリーになっている。

関根恵子も懐かしいのだが、防波堤の上をもの凄い速さで疾走するシーンとか、ラストの拳銃を撃った後の演劇調の大げささとか、後の探偵物語で見られるような、ラストの落ちでのひょうきんな表情とか優作ファンにはおいしかったです。

後、まあ、彼についての本を読んだ直後なので、影の部分、背負っている部分が演技の節々に感じられて、当時とはまた違った印象を受けました。

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探偵物語を観る

ここで何度も取り上げてきた例の伝記を読んで以来、自分の中では松田優作レトロスペクティブというようになっていて、ついに先週から探偵物語を見直している。

まず、1話から4話までを見た。もともと、当時見ていた時から、テレビドラマのため毎回脚本化や、監督が違うので、おもしろい会と、くさくて見ていられない回があったのだが、今回、村川透の第1話を見た時には、思ったよりおもしろくないので、思い入れが強かった松田優作のこのドラマも、こんなもんだったのかなと思い、どうしようかと思ったが、2,4話がそこそこおもしろかったので、自分の興味は持ち直してきている。

30年以上前のドラマなので、「出ている役者が若い、懐かしい」という感想がまず1番先に来る。その自分が感じる懐かしさというのをたどって行くと、田舎で、このフィクションの世界に描かれた風俗嬢やチンピラが住む雑多な都市の物語を見ながら、東京に夢をはせていた当時の自分の感覚が思い出せることにあるんではないかと思う。今、こうして見返すと、その当時の自分の東京という街に対する抱いていた印象が永久凍土の中で氷付けになっているマンモスのように、それを形作っていた探偵物語というドラマの中に残っていたという感じがする。

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断じて親の七光りなどではない松田龍平の才能

この前、松田優作の出演映画本数と、龍平の出演映画本数はほとんど並んでいると書いたが、実は、松田龍平の映画は数えるほどしか見ていない。それは、彼が出ている映画が、「私がつまらなさそうと思う映画」か、もしくは、「けして、子どもとは鑑賞できないような危険であやしい映画」にたくさん出ているからなのだが、ある意味、彼の出演する映画の傾向が、彼という俳優をよく表している気がする。

たしかに「御法度」での彼はよくなかった。おそらく、私のように、優作の息子ということで見た人間もたくさんいて、そういう人たちの中には「親の七光り」ということを感じた人も少なくないのではないかと思う。私もそういう感想を持った一人で、当時は、大島渚も罪なことをしたものだと思ったのだが、数年後の「NANA」で大島渚の先見性を思い知らされた。彼の危険であやしい強烈な個性がなければ、この映画は成立していなかったのではないかと思う。個性派といわれるものの、演技がそれほどうまくない俳優も多いのだが、演技力もかつてのそれではない。おそらく、すでに、彼を使いたいから彼をイメージしてシナリオを書き、最初に俳優ありきで、役者に合わせて映画を作るというような製作者受けする俳優の域に達していて、それが、これだけの映画に、多くの監督に、重要な役で使われているという理由ではないだろうか。

野獣死すべし」以降の80年代の松田優作は、70年代のアクションスターというパブリックイメージから必死に逸脱し、本来演劇青年として彼が求めていた演技というものを違った形で突き詰めていこうとしていたかのように見えるが、パブリックイメージを捨てるということは、結果としてこれまで築いてきた商業的な成功にも背を向けるということを意味し、嗜好による映画の選別により、晩年は不遇だったのではないかと思う。龍平は、その父親が晩年に原点回帰して目指したものを、父親の役者としての才能と、母親の知性と堅実さを継承することで、父親が果たせなかったものを実現して、映画俳優としての成功という点では父親を超えるのではないかと思う。

「恋の門」では、「探偵物語」でのコミカルな部分、「悪夢探偵」では「野獣死すべし」のような狂気の演技の影を見たファンも多いのではないだろうか。その演技も父親の演技を真似している感じではなく、松田龍平という丹精なルックスとクールな言葉の中に、優作の表情が時折見え、声が聞こえてくる感じで、そこがまたよい。

ただ、もう少し余裕をもって、主演する映画を選んでもいいような気もするのだが、それも彼の個性かもしれない。

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松田優作

この前、「越境者」について書いたが、自分にとっては結構、何かが後に残る本だったので、もう一度読んだ。前回の感想では、ノンフィクション作家としての言葉と、元妻の言葉が混在していて不思議な感じがするというような感想を書いたが、自分がこの本の何に反応したのかを確かめたいと思い、こうして2度読んでみると、離婚後の他人や優作本人のインタビューを基に構成された部分においても、20代の若い頃に苦労をともにした人間を失ってしまった悲しみが文章にきざまれていて、特に「どうして」と問いかけている部分には、いいようのない悲しみを感じた。

中でも自分が感傷的になったのは、「離婚」の章において、筆者が彼の「探偵物語」の頃までの、あのちょっとアフロくずれの長髪のパーマを家でかけていたのが、その70年代にかっこよかった髪型も時代遅れになり、優作の髪型もストレートに変わり、それとシンクロするかのように、自分から離れて行ってしまうという部分だ。70年代が彼ら2人の20代の青春時代そのもので、70年代の終焉とともに、彼の志向も変わり、離れていく。いわゆる、70年代ノスタルジーというか、その時代特有の喪失感を体現するかのような実話だと思う。

かくいう私は、探偵物語の79年には、たしか小学六年生だったので、70年代に青春をすごしたわけでもなんでもなく、子ども心にテレビなどで見てきた上の世代に憧れてきたという世代で、中学、高校時代に、70年代の優作の映画やドラマの再放送で後追いしてきたという感じなのだが、その当時は、「家族ゲーム」や「それから」などの彼の役柄の急激な転換についても、尊敬し、役者として常に変化し続ける姿はかっこいいと思っていたはずなのだが、彼が「ブラックレイン」に出演後死んでしまった後のちょうど私が大学を卒業した頃に、彼の映画をもう一度みたいと思った時があって、その時に実際に過去の映画を見返してみると、
「それから」や「家族ゲーム」など当時賞賛されていた80年代の彼の映画は、逆に時代遅れで面白くなく、当然ファッションなどは古くさいのだが時代を超えていいなと思えるのは、彼自身が80年代になって否定していた70年代の例のパーマヘアで出演する70年代の彼のあの世界だった。
この70年代から80年代における彼の変化について、いい悪いを言うつもりはないのだが、この「越境者」を読むと、離婚という出来事による、交友関係の変化の影響というのは、大きかったのかなと思う。

そう思って彼の80年代の出演作を見てみると、1年に1本というくらいのペースで映画俳優としては本当に少ない。と、思ってみてみると生涯出演映画本数でも、ほとんど龍平に並ばれているのは意外だった。それだけに、彼の役者人生上第三の大きな転機になるはずだった、「ブラックレイン」直後の死は本当に残念です。
(すでに、個別の映画については何度か感想を書いていますが、松田龍平については、また、別に書きます。)

再度、「越境者」に話を戻すと、インターネット上の感想をいろいろ見ていると、誰かが、「松田優作の脱神話化の本」というような表現をしていて、的確に表現していると思った。以前「優作にあこがれて」というタイトルで書いたが、私もその神の信奉者の一人だったし、この本を読み終わった今でもそうだ。ただ、唯一以前と変わった点といえば、それが役者松田優作に対してという点なのかもしれない。彼自身が映画の中で表現してきた登場人物には、映画的なカタルシスを強く感じるし、そうした表現者としての彼を崇拝している。この本は、もっともたいへんな時期に苦労を共有してきた人によって書かれているので、仕事から離れた松田優作の人間的な部分が語られているので、映画で描かれている「優作的なもの」の信奉者には、読まなければよかったと思う人もいるのかもしれないが、私は、たとえば、「暴力的な」という彼につきまとう、一つのパブリックイメージについてとってみても、その世間が一般的に抱く彼のイメージと切り離せない人間的なことを知り、改めて松田優作という役者が好きになった。

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清志郎復活

SONGSみました。

公開ライブは募集してたんですね。知りませんでした。行きたかったです。

ファンとしてはうれしいんだけれど、玉のような汗とか、ちょっと緩慢になったアクションとかを見ていると、やっぱり病み上がりというのが見て取れて、ちょっと心配になりました。武道館で倒れたりしないですかね。

体を大事にしてほしいです。でも、応援してます。

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ルックス

先日「恋の門」について書いたが、あの映画で車の上でギターをひいている姿を観て以来サンボマスターのことがかなり気になっていてサントラも買ったのだが、音を聞いて振り返ると、彼らのセンチメンタルな音楽の印象が、私のあの映画に対する印象をかなり決定づけている気がしてきた。

音を聞いていてなんとなく何かに似ているなと思っていたが検索すると、山下達郎、シュガーベイブという、その答えがたくさん出てきて、いろいろ読んで見ると山口隆がいかに影響を受けているかがわかっておもしろかった。検索結果にたまたま、山下達郎と山口隆の対談が載っているクイックジャパンの号がオークションに出ていてので、興味を持ち買って読んで見たが、これがおもしろかった。

ページをめくると2人そろって笑っているカラー写真が出ていて、この写真がすごく強烈なのだが、すごくいい感じで、なんだかよくわからないけど2人に対する好感度がアップした。

本当に音楽が好きな人はルックスを判断基準にして音楽を聴いたりしないと思うが、別にそれが悪いといっているわけでは、そうした部分も好きなのだが、サンボマスターに関してはルックスに対して自虐的というか構えていると感じてしまう部分があり、それが音楽に出ているという部分を感じなくないわけではないので、そういう意味で山下達郎のように、変なポーズを捨てて音だけにこだわってやってもいいんじゃないかと思う。山下が言っている「バンドというやり方について限界を感じた」というのは、そういうことも言ってるんじゃないだろうか。

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アイドルの賞味期限

今日、あまりテレビのバラエティに出ない役者が人気グループのバラエティ番組に出るというので観たのだが、久しぶりに見るそのアイドルグループがみんな年をとっているのにびっくりした。

フォーリーブスとか光源氏とか、昔はこうしたグループはメンバーが一定の年齢に達すると、飽きられて、かっこ悪いものとされて画面から消えていくのが運命だったと思うが、最近のグループはプロモーションというかマーケティングがうまいというか、グループ活動と同時に、バラで映画に出たりとか、年齢に賞味期限のないお笑いみたいなことをやったりとか、サブカル人間やティーネイジャーなどにも受けるように、いいミュージシャンに曲を書いてもらったり、プロデューサーをつけたりしてそうした賞味期限を長持ちさせるような戦略の元に世に出され、その結果が女性誌の人気投票で、10年以上も人気を保っているというような結果になっているのだと思うが、個人的には30半ばに近づいたアイドルが並んでユニゾンで歌っている様子はひじょうに奇妙に感じていて、独立が取りざたされている人気メンバーについては、本人のキャリアを考えればもう辞めて役者として独立すればいいのではないかと思っている。

まあ、ファンがアイドルと供に年をとっていくというのは、まあ、許せるし、私もかつて好きだったバンドのライブにこの年でいってみたいと思うこともあるので悪いことだとは思わないのだが、戦略に乗せられて若い人がそういう10年前のアイドルをよいと思っている現状というのは、感性の停滞という気がしていて、本来は、そういう30代40代の人間の感性をかっこ悪いものとして切り捨てるような理解不能のまったく新しい何かが出てきて、古い人間に絶望的なジェネレーションギャップを感じさせてくれることを期待しているのだが。

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優作にあこがれて(追記)

そういえばと思い出し読み返してみましたが、リリーさんは「日本のみなさんさようなら」で優作のことについて書いてましたね。思い出しました。

そうです、私は、リリーさん流の日本の男を二種類に分類したうちの「優作にシビれ心の中に優作の住み着いてしまった男」のほうです。

そういえば、リップヴァンウィンクルのシーンとか真似したなあ。

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